奈留教会
長崎県 五島市
歴史・文化
歴史・文化など(Gateway)
秋 H6000px W4000px
シェア

- 説明
- 江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられましたが、その頃の奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかありませんでした。最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の信徒たちが負担し、上五島青方の大工に依頼して、1926(大正15)年、現在地に完成しました。その後拡張工事もおこなわれましたが、1959(昭和34)年、台風時には持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の手で解体されました。現教会は1961年(昭和36)年に建設着工し、同年12月に祝別、献堂されました。奈留教会史に残る出来事のひとつは、1973(昭和48)年5月に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の所属になったことです。離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた島ですが、この集団移転により、葛島教会は廃堂となりました。
- 補足情報
類似画像はこちら
-
石橋文化センター
H685px W1024px -
頭ヶ島教会
H6000px W4000px -
肥前浜宿・酒蔵通り
H5504px W8256px -
呼子の朝市
H8116px W5411px -
青島神社周辺
H5283px W7925px -
最教寺
H5504px W8256px -
作曲家・古賀政男
H1152px W1728px -
豊玉姫神社
H5504px W8256px -
幸橋(オランダ橋)
H5504px W8256px -
高千穂神社
H5472px W3648px -
武雄神社
H6048px W4032px -
名勝 仙巌園
H8256px W5504px -
島原城
H5504px W8256px -
ポーセリンラボ
H1167px W1762px -
福井洞窟ミュージアム ※
H4032px W6048px -
観世音寺
H8256px W5504px -
平成新山
H2000px W3000px -
高千穂 夜神楽
H2698px W4042px -
大島紬(大島紬村、泥染め、手織り体験など)
H5504px W8256px -
東長寺
H5309px W7963px
検索条件
- 写真