奈留教会

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奈留教会
説明
江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられましたが、その頃の奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかありませんでした。最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の信徒たちが負担し、上五島青方の大工に依頼して、1926(大正15)年、現在地に完成しました。その後拡張工事もおこなわれましたが、1959(昭和34)年、台風時には持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の手で解体されました。現教会は1961年(昭和36)年に建設着工し、同年12月に祝別、献堂されました。奈留教会史に残る出来事のひとつは、1973(昭和48)年3月に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の所属になったことです。離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた島ですが、この集団移転により、葛島教会は廃堂となりました。
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